アートを作る人って生き辛いよねって話
おとといまで静岡市のノアギャラリーさんでゼミのメンバーで卒制に向けてのプレ展示会を行なっていました。
大学内では話をすることのない先生も来場してくださり、その時に話したことが印象的でした。
それは、アートを作っている人って生きるの辛いよねって話です。
展示会の様子はこんな感じでした。
だいぶ抽象的で分かりにくかった話だったので具体的な例でお話しします。
「夏休みの課題をいつするのか/そもそもやらなければならないのか」で例えてみました。
というのも、私という”人間が生活をする”上では必要ないことだけど
学生という私としては”自分を成長させるために、より質の高い生活を送る”ためには、夏休みの課題はやらなければならないことですね。
夏休みの課題を消化するために
・毎日コツコツと少しずつ
・最終日にどかっとまとめて
していたかと思います。
または、
・課題をやらない
という人も。
課題をやらないというのは
人間としての私は生活できるけれども、
学びをしている私としては学びを放棄していることになる。
例えとして、夏休みの課題を出しましたが、
夏休みの課題=普段生活している上では、考えなくてもいいこと。考える必要はないこと。
大げさな例えの一つとしては、
「いつ私は死ぬのだろうや死んだ後私はどうなるのだろう。」とか。
これをアートを作る人たちはいつも課題を正面から受け止めてコツコツ消化していっている。そして、その毎日消化していくことで蓄積されたエネルギーをアート作品として表現しているのだと思います。
コツコツ消化するのってすごく面倒くさいし、ストレス溜まるから生きるの大変だよねとお話しをしました。
でも、これがアートの大変さであり、アート作品の面白さに繋がるのかなと思いました。
アート作品をみるのが疲れる理由は、間接的に夏休みの課題をどかっと突きつけられて、その場で全部、消化しろ!と行っているのと一緒のことだからか!とわかりました。
私自身、本当は考えなくてもいい事をネチネチ考え続ける体力や忍耐体力、精神力がどこかの役に立つといいなと思いました。